かわじ民夫

河治 たみお
日本共産党横浜市会議員
駆けある記

党派を超えた共同運動で、市民の要求に沿う跡地利用を

2016年12月11日

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   瀬谷区と旭区にまたがる旧上瀬谷通信施設が昨年(2016年)6月に防衛省に返還されました。11月26日、米軍上瀬谷基地の返還と跡地利用問題懇談会主催の「上瀬谷基地跡地利用を考える『跡地利用シンポジウム』」が市民運動や複数の政党の参加で行われました。はたの君枝衆議員(日本共産党)や水戸将まさし議員(民進党)の挨拶、パネリストには柴田豊勝氏(元市会議員=神奈川平和委員会事務局長)や平本さとし氏(前神奈川県会議員=瀬谷区・民進党)、私もパネラーの一人として横浜市の状況を報告しました。跡地利用計画の策定に市民運動と超党派の人達が一緒に要求を持ち寄り、行政に働きかけ実現できれば素晴らしいことだと思います。また、こうした要求運動が野党共闘の動きにつながるなら一層うれしいことです。

IMG_1024今、横浜市は跡地利用基本計画策定に向け検討しているとしています。返還跡地は首都圏に残された貴重な空地です。運動を広げ要求が利用計画に反映されるよう、様々な機会や仕組みを講じるよう求めていきましょう。以下パネラーとして報告した内容です。

旧上瀬谷基地の概要

かつて旧上瀬谷基地は旧日本海軍が1941年に接収し、資材集積所・兵站基地として使用(旧日本海軍の毒ガスが基地内で処分されたのではないかとの報道もありましたが、定かではありません)。1945年8月の米軍接収は47年10月一時的に解除。1951年の朝鮮戦争開始とともに再接収され、95年8月まで通信基地として、その後は支援施設として使用されてきました。

 Scan0003旧上瀬谷基地は総面積は240ha。広大でほぼ全域が市街化調整区域で、国有地(約45%)、民有地(約45%)、市有地(約10%)が入り乱れています。(右図参照)これまで米軍施設として提供されていたため、道路などの都市基盤や灌漑施設などの農業基盤が十分整備されていません。

 跡地利用基本計画の策定に向けた取り組み

 横浜市では2006年6月に跡地利用指針で①広域の防災活動拠点・広域機能の立地、②緑を享受する首都圏郊外の自然レクリエーション空間、③魅力ある都市型農業の振興、④交通利便性の向上に資する基盤整備等の方向性を示しました。跡地利用基本計画の策定に当たっては、指針の方向性を踏まえ、国有地と民有地を一体にした跡地利用について、地権者との検討が始まっています。跡地利用には国有地と民有地の混在を解消し、効率的・効果的な土地利用ができるまとまりあるゾーンの形成(左図参照)のため地権者との合意が進められていま。ゾーンのコピー農業振興ゾーンは農業基盤整備等を進め、土地活用ゾーンは防災、公園、道路整備や物流、教育・研究施設等、整備の必要性も含め検討するとしています。

最近の動き

  横浜市は国や地権者と、農業振興や土地活用について話し合を進めています。国有地にある3野球場は引き続き、継続利用が確認されました。防衛省による土壌汚染調査は、今年度は民有地全域について、有害物質による汚染の有無を確認するとしています。また今、にわかに跡地利用促進策として、国有地を中心に「国際園芸博覧会(花博)」の招致の動きが出され、横浜市も国に要望しました。花博を呼び込み都市基盤整備を進めようというものです。基盤整備を進める手法として「民間の力を借りることが重要」とする等、大型開発につなげようとする動きもあり警戒しなければなりません。1990年に大阪で開催された花博は、「自然と人間の共生」の理念を全世界に発信し、環境を重視する都市づくり等の先導的役割を果たしたことを学ぶべきです。ご一緒に市民の立場に立った跡地利用にしていきましょう。

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